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DJ KOOと共に振り返る エイベックスの歴史とエンタテインメントのこれから(ゲスト:伊藤一朗) DJ KOOと共に振り返る エイベックスの歴史とエンタテインメントのこれから(ゲスト:伊藤一朗)

ハイライト

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エイベックス35周年特別企画として、案内役を務めるTRFのリーダー・DJ KOOが、エイベックスを代表するさまざまなアーティスト・タレントたちとのスペシャルな対談をお届けする企画がスタート。第4回目のゲストは、音楽ユニットEvery Little Thing(以下、ELT)のギタリストとして活躍し、ソロとしても数々のヒット曲を世に送り出してきた伊藤一朗。対談では「ヒット・ムーブメントはどのようにして生み出されたか」をテーマに、伊藤一朗とDJ KOOが過去から現在に至るまでのキャリア形成を振り返りつつ、アーティスト・クリエイターの視点から音楽×エンタテインメントの過去・現在・未来について語り尽くす。

DJ KOOと共に振り返る エイベックスの歴史とエンタテインメントのこれから(ゲスト:伊藤一朗)

28歳で勝ち取ったデビューへの道
伊藤一朗という遅咲きの名ギタリスト

伊藤一朗がギタリストを務めるELTはヒット曲を数多く持ち、とりわけ1996年のデビューから90年代後半にかけての勢いは鮮烈だ。「Dear My Friend」、「For the moment」、「出逢った頃のように」、「Time goes by」など、数々のミリオンヒットを含む名曲を世に送り出し、エイベックス、そして日本のJ-POPを代表する音楽ユニットとなった。まずはそんなELTのブレイク前夜を、ギタリスト・伊藤一朗とともに振り返る。

伊藤一朗(以下、伊藤)「僕は高校卒業後にバンドを始めて、それからはセミプロとして活動していたので、メジャーレーベルと契約したのはELTが最初。今年でデビューして27年が経ったのですが、そのとき既に28歳だったので、比較的遅いデビューだったと思います」

DJ KOO(以下、KOO)「もうデビューして27年か。長いね。TRFは今年で30周年だけど、自分たちより活動歴の長いアーティストはまだまだたくさんいるからね。芸歴を重ねるたびに、そういう人たちへ尊敬の念を抱くようになったし、音楽に対する持続力もすごいなと思うよ。デビューに至るまでどんな音楽活動をしていたの?」

伊藤「僕はバンドを組んで活動していましたね。始めた当時は、メジャーレーベルと契約して音源を出すのが、多くのミュージシャンにとっての目標でした。若いロックンローラーたちはそれを達成していたし、20代前半で契約を取れなかったら、もう遅いと言われていました。僕は早々にそのルートを諦めて、普通に働きながら音楽をやっていました」

のちの盟友からの運命的な誘い
音楽ユニット・ELTで念願のメジャーデビューへ

DJ KOOと共に振り返る エイベックスの歴史とエンタテインメントのこれから(ゲスト:伊藤一朗)

音楽と仕事を両立していた伊藤が再び、プロの道へ軌道修正するきっかけとなった人物こそが、ELTの元メンバーで、リーダー兼サウンドプロデュースを担当していた五十嵐充だ。

伊藤「五十嵐くんは当時、レコーディングスタジオに住み込みで働いていたんです。彼は勤務が終わった夜中に、そのスタジオで持田香織をプレゼンするデモテープを制作していたのですが、打ち込みにボーカルを入れただけだと味気がないと。それでバンド仲間で面識のあった僕に、『ギターを入れてほしい』という依頼がありました。その依頼がきっかけとなりELTの結成につながったのです」

KOO「僕はそのころを知っているけど、ELTを結成する前は、たしかメタルとかハードロックのバンドをやっていたよね。当時、仕事は何をしていたの?」

伊藤「僕が一番長く働いたのは、スタジオのブッキング担当です。アルバイトも、できるものは何でもやりましたね」

KOO「働いている時期も、ミュージシャンになるという希望は持ち続けていた?」

伊藤「そうですね。20代の前半までにメジャーレーベルと契約するのが最初の目標でした。ですが、なかなか達成に至らず諦めて力を抜いたときに、五十嵐くんから依頼をきっかけにELTとしてデビューできるチャンスが来た。人生何が起こるかわからないと思いましたね」

20代のほとんどは、最初の目標を達成できないまま、他のバンドで勝負するか悩んだ時期もあったという伊藤。ただし、チャンスは突然に現れ、1996年、持田香織(Vo)、伊藤一朗(G)、五十嵐充(Key)の3人組ユニット・ELTはデビューする。

「記念になれば」という心持ちから
90’sにミリオンヒットを連発

DJ KOOと共に振り返る エイベックスの歴史とエンタテインメントのこれから(ゲスト:伊藤一朗)

ELTとして念願のメジャーデビューを果たしてからの勢いは凄まじく、avex traxより1stシングル「Feel My Heart」でCDデビュー。いきなり約10万枚を記録した。さらに、1997年発売の3rdシングル「Dear My Friend」では初のトップ10入り(49万枚のロングヒット)を果たし、同年の1stアルバム『everlasting』は初登場で1位かつミリオンの192万枚を記録した。

伊藤「当時、周りの友人もバンドをやる人が多かったのですが、大抵はメジャーレーベルと契約しても3年ほどで契約終了となることが多かった。なので、こんなにELTとして活動を継続できるとは思っていなかったですね。1stアルバムを出すときも、記念になればいいかなくらいの心持ちでした」

KOO「その気持ち、よく分かるよ。20代に売れて純粋に嬉しい気持ちがあったとしても、次第に浮き足立ってはダメだなと思うようになっていくよね。僕もTRFに入る前は、DJをやりながらユニットで活動していたけど、なかなか思い通りにならなかった。当時、“うまい話はない”というのが信条だったから、いっくん(伊藤)の言った『記念になれば』という気持ちはすごく理解できるな」

ELTはその後、4thシングル『For the moment』でシングルの初登場1位を獲得し、翌1998年には8thシングル『Time goes by』がシングルで初のミリオンを達成。同年4月に発売した2ndアルバム『Time to Destination』はなんと352万枚というELT最大のヒットを果たしたのだ。そして翌1999年の初ベストアルバム『Every Best Single +3』がダブルミリオン(225万枚)と、ELTは日本の音楽界を席巻。五十嵐が手がける楽曲に、伊藤のギターと持田の歌声が融合したELTの世界観は、10代・20代の若者たちから絶大な支持を集めた。

伊藤「もし自分が、力も勢いもありあまっている10代にELTとしてメジャーデビューをして、ヒット曲を出していたら、有頂天になっていたかもしれないですね。苦労を抱えながら遅く咲いたが故に、冷静に自分を客観視できたのだと思います」

エイベックスから学んだ日本の音楽事情
今も変わらない会社の価値と強み

DJ KOOと共に振り返る エイベックスの歴史とエンタテインメントのこれから(ゲスト:伊藤一朗)

伊藤にとって、念願のメジャーデビューを果たしたエイベックスというレーベルについて、改めてKOOから伊藤へ、抱いている印象について問いかけた。

伊藤「エイベックスはTRFさんをはじめ、日本の邦楽とダンスミュージックをミックスさせた音楽で当時からみんなの憧れでした。そのエイベックスと契約し、リリースできるという事実に純粋に興奮しましたね。持田もTRFのYU-KIさんに憧れて、エイベックスのディレクターに自分を売り込みに行ったそうですから」

ただしELTの音楽自体は、エイベックスの主流であったダンスミュージックではなく、カテゴリーとしては、J-POPとして定着しているポピュラーロック。ELTを始動させる中で、伊藤はエイベックスとの関わりから学んだこともあった。

伊藤「エイベックスの担当の方から、過去のJ-POPのヒット曲の共通項を見つけて制作に落とし込もうというお題をもらったことがありましたね。僕は洋楽ばかり聴いていたので、当時の日本の音楽事情はエイベックスを通して学んだ部分が大きかった。何十年も続くレコードメーカーが数多く存在する中で、エイベックスが席巻したのは本当にすごいことです。エイベックスはいつの時代も、フレッシュでパワーに溢れている方ばかり在籍されているという印象があります」

KOO「TRFもELTもヒットし始めたころ、まだエイベックスは本当に若い会社だったもんね。社員やアーティストが発言したアイデアをすぐさま具現化するスピード感と、なんでもやるぞ!という社員みんなの勢いが、今も変わらないエイベックスの大きな強みだと思う」

バンドではなく「ユニット」という概念
記憶に残る“歌えなくなった”ライヴ

DJ KOOと共に振り返る エイベックスの歴史とエンタテインメントのこれから(ゲスト:伊藤一朗)

アーティストが持つ音楽のクリエイティヴと、エイベックスが持つ戦略的なマーケティングがマッチして生まれたユニットがELT。 エイベックスにおける“歌姫”のポジションに、持田香織というシンガーがフィットしたことも大きなヒットの要因だ。

KOO「ダンス&ボーカルのTRFから始まり、その後のELTやglobeなどもそうだけど、ユニットという概念は、エイベックスならではの形だよね」

伊藤「そうですね。ユニットだと、いろいろなジャンルの音楽が表現できるし、バンドだと実現できないような打ち込みが入った楽曲もたくさん制作できました。ジャンルに捉われない楽曲制作ができたので、ELTはエイベックス独自のユニットという形態で活動させてもらえたことの恩恵をすごく受けています」

エイベックスが創り上げてきたJ-POPの象徴とも言える「ユニット」という概念のお陰で、ジャンルに捉われず、ELTらしい楽曲制作のスタイルに打ち込むことができた。次にDJ KOOが伊藤に、ELTで特に印象的だったライヴを聞くと、わかりやすい大成功ではなく、むしろピンチに陥ったときのエピソードが挙がった。

伊藤「スケジュールが過密になり、持田が本番中に歌えなくなったときがあって。それが、『fragile』という曲をリリースしたあとのライヴでした。そのライヴでまさに『fragile』を披露している途中、持田の声が急に出なくなってしまったんです。それを見たお客さんが、一緒に合唱してくれたことが忘れられないですね」

ライヴは、お客さんと一緒につくるものだと証明されたエピソード。そのときの体験から伊藤は、「僕らは曲をパフォーマンスしている側ですが、曲自体がパワーを持ってお客さんに対して届いていることを実感しました」と、当時を振り返った。

自分がいなくなっても後世に伝わる音楽を届けたい
壁を乗り越えて見据えた30周年

DJ KOOと共に振り返る エイベックスの歴史とエンタテインメントのこれから(ゲスト:伊藤一朗)

その後、ELTから五十嵐が脱退し、2人体制になったときもユニットとしてのピンチだった。ただしそこで、ELTとしての軸をブラさなかったことがターニングポイントとなり、結果的にELTは、時代に合わせながら曲を生み出し続け、定期的にライヴも開催。現在もユニットとして、そしてそれぞれソロとしても活動を継続している。

伊藤「五十嵐が脱退した時は正直、最初は不安で仕方なかったです。でも誰かを代わりに入れるという考えにはならなかった。プロデュースに外部の方を招いて再スタートしたときも、ELTとしての今までの色はキープしつつ、新しい楽曲をリリースしていくことを考えました。今は曲を検索すればすぐに聴ける時代ですし、そういう環境が当たり前の中で、音楽に接する方がたくさんいると思います。自分がいなくなってもデータが残っていれば、誰かが聞いてくれるのかなと思うと、作って良かったなと思えます」

KOO「そうだね。もっと言えば、検索すれば簡単に音楽が聴ける時代だからこそ、ヒット曲以外も聴いてもらえているとうれしいよね。長く活動を続けていると、どうしてもフィーチャーされるのはヒット曲だから。あと、自分がTikTokライヴでDJをやっているとき、若い世代からもELTの曲のリクエストは多いので、幅広い世代に愛されているのだなと思うよ」

一足先に30周年を迎えたTRFを追うように、伊藤も3年後にはELTとして30周年。

伊藤「キャリアは長いですが、まだまだなミュージシャンなので、そのスタンスは崩さずに、ファンとの接点を今後もたくさん作っていきたいですね。ELTは私も持田も、強欲にやってこなかったからこそ、今でも続けられている特別なユニットなのだと思います」

その言葉は、一世を風靡したアーティストだからこそ言えるものであり、日本のポップスを象徴するアーティストとして、これからもマイペースに歩んでいくだろう。ELTの音楽は初めて聴く若い世代でも知らない景色に連れていってくれる。そして、馴染みある世代に対しても、いつまでもELTのままでいてくれるはずだ。

DJ KOOと共に振り返る エイベックスの歴史とエンタテインメントのこれから(ゲスト:伊藤一朗)

(写真左)
DJ KOO

(写真右)
伊藤一朗

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関連リンク

Every Little Thing OFFICIAL WEB SITE
DJ KOO official website
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