エイベックス35周年特別企画として、TRFのリーダー・DJ KOOを案内人に迎え、時代をつくってきたさまざまなアーティスト・タレントたちとのスペシャルな対談をお届けする企画がスタート。今回のゲストは、ダンスクリエーターとして幅広く活躍し、DJ KOOと共にTRFで一時代を築いた盟友・SAM。「ヒット・ ムーブメントはどのようにして生み出されたのか」をトークテーマに、DJ KOOとSAMのふたりが、これまでの成功体験やキャリア形成を振り返りつつ、アーティストの視点から音楽×エンタテインメントの過去・現在・未来について語り尽くす。
医者の道から外れていった高校時代
夜のディスコで出会ったダンスの衝撃
DJ KOOとSAM。言わずと知れたTRFのメンバーのふたりであり、それぞれが“DJ”と“ダンス”を武器に、日本の音楽エンタテインメント業界において一時代を築いたアーティスト。そしてエイベックスにとってTRFは、邦楽第1号グループのレジェンドだ。
SAMは意外にも、明治時代から埼玉で医院を代々営む家系で、男兄弟は結果的にみな医者に。SAMも必然的に医者を目指すルートに幼少期から乗るわけだが、「このまま医者になることが自分のやりたいことなのか」──そんな想いを抱くようになったという。そんな悩める高校生のSAMが出会ったのがディスコだった。
SAM「通っていた高校は進学校でしたが、同じクラスにいた友達の影響で、高校1年生のときに初めてディスコに行ったんです。当時、渋谷にあったBLACK SHEEPというディスコで見た、常連客のダンスパフォーマンスに衝撃を受けたのを覚えています」
DJ KOO(以下、KOO)「そのときに、SAMはダンスミュージックが一気に身近になったわけだ」
SAM「そう。そこからディスコに足繁く通うようになって。そのころは親も自分が医者になることは諦めていたし、15歳のときに家出もして。両親に『何がやりたいのか?』と尋ねられ、『自由になりたい』と答えた。そしたら父に『居場所を伝えて、学校にちゃんと行くなら好きにしていい』と言われたので、夜はディスコに行き、次の日の学校には頑張って行く。そこから夜になったらまたディスコに行くという生活が始まった」
ダンスにのめり込んだ70〜80年代
ディスコのスターが目指したプロの道
SAMが最初にダンスにのめり込んだ70〜80年代。都内にはさまざまなディスコが存在した。ただしどこのディスコにも常連客がおり、目立てないと考えたSAMは、新規オープンのディスコを狙い、その常連客と“ミッキーマウス”というダンスチームを組んだ。
SAM「そのころにはさまざまな繋がりができて、ミッキーマウスとして名も売れ始めた。それに伴い、レコード会社から新譜のプロモーションのキャンペーンを任されるぐらいになっていました」
KOO「当時はレコード会社がディスコでプロモーションをしていた時代だし、ディスコが『サタデー・ナイト・フィーバー』の世界そのものだったからね」
SAM「ダンスは、当時憧れている先輩がいて、その人たちの動きを、鏡の前で真似して踊って覚えてたな」
KOO「ディスコには鏡があって、そこで踊るのがステータスだったんだよね」
SAM「ただ、自分たちの先輩で上手な人はたくさんいるのに、ダンスで生計を立てている人がいなくて。昼間は喫茶店でウェイターをやっていたり、電気屋さんで働いていたり。『なぜ、みんなプロにならないのか?』と思っていたし、自分たちのパフォーマンスがカッコいいという自信もあったので、プロになろうと決意しました。そんな高校3年のとき、全国ディスコ協会のトップで、日本ディスコ界の草分け的なドン勝本さんに声をかけていただいたんです」
アイドル・ダンス・ユニットでデビュー
有名になるにはテレビしかなかった
SAMは全国ディスコ協会に所属していたチームに加入し、初めて我流ではないディスコダンスを学ぶことに。さらにその後、ボーカルを入れた新たなアイドル・ダンス・ユニット“チャンプ”としてデビューする話が浮上。1982年、SAMが20歳のときだ。
SAM「当時ディスコ絡みで社会的な事件が起こった影響で、急遽歌詞を差し替えることになってしまい、結果的にデビュー曲も売れなかった。その後は“RiffRaff”というユニット名で再デビューし、ある程度人気は出たものの、有名になってダンスを広めたいと思っていた理想には程遠い時代があった」
ここまでのエピソードを聞いても、SAMがどれだけ当時のディスコシーンに根ざした活動をしてきたか、ダンスに執着してきたかが伝わってくる。
SAM「自分たちが夢中になったディスコダンスは、どのダンスよりもカッコいいので、メジャーな舞台で見せるしかないと思っていたし、より拡散していくにはテレビに出演するしかなかった。ただ一緒に活動していたメンバーたちの熱も徐々に冷めていって。その後は、ニューヨークへダンス修行に行ったり、いくつかのダンスチームに所属したりしていました」
自分たちのダンスを世に広めるために、アイドルとしてデビューしたSAM。しかし、当時のテレビが求めていた音楽やダンスと、自分が見せたいものの乖離、そして「ダンサー=バックダンサー」という既成概念が、SAMの求めていた道を阻んでいた。
人生を変える小室哲哉との出会い
さまざまな戸惑いの中でTRF結成
そんなSAMに転機が訪れる。1990年頃に深夜番組で放送されていた『ダンス!ダンス!ダンス!』という番組に出ていたSAMを、小室哲哉(以下、小室)が見つけたことだった。
SAM「当時は“MEGA-MIX”というダンスグループに所属していて、TRFを結成する前のCHIHARUやETSUも、その番組でレギュラーダンサーとして出演していた。実際に小室さんに会ったときには『普段はどんな音楽で踊っているの?』と聞かれて、「ヒップホップやジャズを踊っています」と答えたら、「オリジナルの曲で踊ってみない?」と言っていただけて、すぐに飛びつきました」
ただしそこから順風満帆にことが進んだわけではなく、むしろSAMにとっては戸惑いの連続だった。小室にオリジナル曲のレコーディングをしていると呼ばれ、そこで聴いたのはSAMにとって馴染みのなかったテクノ。小室は当時、TM NETWORKとしても活動していたので、当たり前と言えば当たり前だが、その衝撃は大きかったという。
KOO「ここまで、自分はダンスで勝負すると決めて活動してきたSAMだけど、TRFになるときにもさまざまな葛藤があったわけだよね。元々、以前からお互いの存在は知っていたから、四つ打ちで踊れるのかなって最初は思っていた」
SAM「ダンスで言うと、ちょうどハウスが日本に入ってきたころだったので、テクノを踊ることについても対応できるだろうとは思った。その一方で、テクノの楽曲に馴染みがなかったこともそうだし、DJとしてKOOちゃんが入り、ボーカルでYU-KIが現れ、当初想像していたイメージと違って、結成したばかりの時は葛藤があったんだよね」
「EZ DO DANCE」が大ヒット
日本を代表するアーティストに
1993年、小室のプロデュースでtrf(デビュー当時は小文字)はシングル「GOING 2 DANCE/OPEN YOUR MIND」と、アルバム『trf 〜THIS IS THE TRUTH〜』でデビュー。その存在が、少しずつ全国のクラブなどを通してリスナーに認知されていき、そしてついに、TRFの存在を世に知らしめるセカンドシングル、「EZ DO DANCE」がリリースされる。
SAM「テクノサウンドへの葛藤はあったものの、ようやく自分たちが一番カッコいいと思っていたダンスをテレビで見せられることが本当に嬉しかった。多くの人に自分のダンスを認知してもらう、それを一番望んでいたからね」
本人たちに戸惑う余地を与えないほど、TRFは一気に日本の音楽エンタテインメントの中心に躍り出るとともに、それまで存在しなかったダンスライヴのフォーマットを作った。
SAM「TRFが5人になって、ダンサーが自分と女性2人で合計3人になったときに、どうやってパフォーマンスを魅せていくか、すごく考えながら活動していました。だから、どのライヴも全部が印象に残っています。dAnce to positive(Overnight Sensation)の演出に関しては小室さんにコンサートの作り方をイチから教わった部分もあって、すごく成長できたライヴだったな」
KOO「TRFは日本においてダンスライヴの先駆けとしてやってきたから、何かを参考にするのではなく、自分たちのアイデアで一から作り上げてきたところはあるよね」
90年代のTRFは5作連続ミリオンセラー達成をはじめとする、一大ムーブメントを巻き起こし、その後のTKブーム(小室ファミリー)のきっかけをつくるとともに、エイベックスの礎を築いた。
“生き字引”のDJ KOOとSAMが思う
エイベックスのこれまでとこれから
冒頭でも述べたように、TRFはエイベックスにとっての邦楽第1号グループ。ふたりはエイベックスにおけるこれまでの歴史をすべて見てきたと言える、“生き字引”のような存在だ。
SAM「最初のころのエイベックスは社員が30人くらいしか在籍していなかったので、スタッフみんなの顔と名前がわかったけど、オフィスが青山に移転してからどんどん人が増えていった。アーティスト目線で無茶を聞いてくれるし、社風としてノリがいいし、いい会社だと思います」
KOO「ライヴでTRFが『EZ DO DANCE』をやると、社員一丸となって盛り上がっているのを見て、やっぱりエイベックスはいいねって思えたよね」
SAM「なので、同じ方向を向いて進めたらもっとパワーを発揮する会社だと思うし、エイベックス出身のアーティストでヒットを飛ばすような人をさらに多く輩出していけたらいいよね」
KOO「エイベックス出身で考えると、TRFのあとには安室ちゃん(安室奈美恵)がいて、あゆ(浜崎あゆみ)がいて、この前対談した倖田(倖田來未)もいて。自分たちはそれを体験しているからこそ感じることだけど、続々とエイベックスから人気アーティストが出てくる盛り上がりを、今後もさらに出していきたいよね」
SAM「今では、エイベックスは映像コンテンツやアニメなども含めていろいろな事業を多角的に手掛けているけど、やはりダンスミュージックの走りの会社という部分を生かして、音楽事業をもっと盛り上げていけたらいいなと思う。その柱はしっかり立てていきたいですね」
アーティスト活動を超えた可能性
若者から高齢者まで楽しめるダンス
2000年代以降のSAMは、SMAP・東方神起・BoA・V6など、数々のアーティストの振り付けやコンサートプロデュースを行うとともに、2004年からはダンススクール「SOUL AND MOTION」を主宰するなど、次世代ダンサーの育成にも力を入れてきた。
そして活動の幅を広げる中で生まれたのが、エクササイズDVD『TRFイージー・ドゥ・ダンササイズ』。TRFのダンサー3人がダイエット向けのダンスを指導するエクササイズDVDは、2012年の発売以降、シリーズ累計で380万枚の大ヒットを記録している。
SAM「これまでエクササイズにはあえて触れてこなかったけど、一般の方にダンスをもっと楽しんでもらうための可能性を考えたときに、エクササイズ×ダンスの形が見えてきたんです」
KOO「僕がこれまでSAMを見てきて思うことだけど、性格的に頑固なところは頑固な反面、常に新しいことを受け入れるマインドを持っているよね」
さらに2016年には、ダンスに親しみやすい環境づくりと、アクティブシニア世代の健康寿命の伸張を目的とした 「一般社団法人ダレデモダンス」を設立。昨年には “60歳からの筋トレ・脳トレダンスDVD”をテーマにした『リバイバルダンス』をリリースした。
SAM「高齢者に向けたダンスはお手本がなかったので、知り合いの認知症専門医や理学療法士に相談したり、アメリカの大学でジェロントロジーの修士号を修得したりして、プログラムを作っていった。その結果、自分の力で自分の体を動かすことが、何にも勝る健康法だという結論に辿りつき、『リバイバルダンス』に繋がったんだよね」
音楽とダンスが「好き」という感情
挑戦し続ける30周年のパイオニア
ただしSAMは高齢者向けのダンスに関して、「今でもアーティストとしての活動や、若手の育成を行なっているベースがあるからこそできること」と語る。すべての活動は、“ストリートダンサー”のSAMという存在があってこそ。そして今年で30周年を迎えるTRFのふたりは、このタイミングで改めて、「好き」という感情を大事にしている。
KOO「我々は常にTRFになる前の下積みというか、好きで突っ走ってきた部分が、今の年齢になってなおさら大事なんだということを感じているよね」
SAM「そうだね。やっぱり音楽もダンスも、人の気分を高揚させたり、元気にしたりと、ポジティブな要素しかない。さらにダンスに関して言えば、ひとりより大人数で踊った方がより効果がある。だから、音楽とともに、みんな踊りましょうよ」
自らの“好き”という気持ちを大切に持ち続け、生涯現役を貫くSAM。30周年を迎えたTRFのメンバーとして、そしてソロアーティストとして衰えを知らぬ姿を見せる一方、ダンスで若手を育て、高齢者を救う──その姿は「ダンスで日本を元気にする」という使命を背負った、ダンサーとしての誇りと、まだまだこれからも進化するという覚悟と自信に満ちていた。
そして来年、2024年2月18日(日)に武道館ライヴ・TRF 30th Anniversary Live at 日本武道館 「past and future.」の開催が決定。武道館のライヴ時にはSAM、DJ KOO 共に62歳を迎え、女性メンバーも60歳手前でのパフォーマンスとなる。日々、ポジティブに「今日が最後かもしれない」という覚悟を持ちながらステージに立つ彼らが、TRF30周年の集大成にあたるライヴを武道館で披露する。
KOO「武道館のライヴは、TRFで育った人みんなに見てほしいです。昔からTRFを聴いてくれている方が、今のTRFを見て自分も頑張ろうという気持ちになってくれたら。そしてTRFを知らない人たちにも是非見てほしい。僕たちの音楽で、元気や勇気を与えることができたらいいなと思います。みんな仲間であり、親戚のように思っていますから」
SAM「子どもから大人、おじいちゃんやおばあちゃんまで巻き込んで、全世代が楽しめるライヴを作ろうと思っています。ダンスや音楽はもちろん、演出面でも盛り上げていきたい。終わったあと、絶対に『楽しかった』と言ってもらえるようなライヴを目指していきます」
日本中をダンスミュージックで熱狂の渦に巻き込んだパイオニアたちは、30年の時が経った今も変わらず、アップデートを重ねて走り続ける。「人を楽しませること」への挑戦に人生を賭ける彼らのパフォーマンスに、私たちはこの先も心を躍らせ、生きる元気をもらうことだろう。
(写真左)
DJ KOO
(写真右)
SAM