「YouTube、Spotifyを通してアーティスト公式グッズを世界中に販売できるプラットフォーム」と銘打って、エイベックス・デジタルが2021年3月に発表したMD-SASS(エムディーサス)。止まぬコロナ禍で思うような音楽活動ができずにいるアーティストやマネジメント事業者の光明になり得る新サービスの、現場レベルの開発ドキュメンタリーをお届けする。話を聞いたのは、エイベックス・デジタルのプラットフォーム事業本部EC事業グループ・ゼネラルマネージャーの須藤健太と、同事業グループのマネージャー石原賢人。さらに、MD-SASSの物流部門を担当する株式会社ネオ・ウィングのプロジェクト推進室・海外事業推進グループリーダー、黛将広氏の3人。MD-SASSで新たなソリューションを生み出したいという彼らの野望をたずねた。
「スムーズな買い物を
実現するためには、
海外対応の
プラットフォームづくりが不可欠」
話を聞いたのは、4月1日。1年前の今頃は7都道府県に緊急事態宣言が発令される数日前で、国民の誰もが先の見えぬ不安を抱えていた。
須藤「コロナ禍の影響で至るところでオンラインシフトのうねりが上がり、世の中的にはECが活況となりましたが、一方で音楽業界としてはライヴができなくなり、僕ら直販ECに携わる者にとってはライヴグッズの販売やライヴ映像商品の販売が無くなり、売上的に影響を受けました」
そんな世界中がコロナ禍に飲み込まれた昨年の5月、エイベックスのレーベルチームが長年取り組んできたYouTubeやSpotify等のデジタル戦略の中から、物販搭載の方策が導き出された。そこから生まれたのがMD-SASSだ。
ここで、MD-SASSのシステムに触れておく。MD-SASSに登録した商品は、アメリカのMERCHBARを通じて、YouTubeの公式アーティストチャンネル、Spotifyへ掲載される。MERCHBARとは、約10万人のアーティストの100万点以上に及ぶ商品を、45の国と地域の1,800万超ユーザーに提供している世界最大級のアーティストグッズ販売プラットフォームだ。
MERCHBARというグローバルプラットフォームとつながりを得られたこと。これが、彼らが独自のプラットフォームを開発する“フェーズ1”始動のきっかけになった。石原が当日を振り返る。
石原「年内ないしは11月までにリリースしようということになり、急いで社内の人材を掻き集めて、開発を進めながら運用は追いかけて考えていくというスタイルで進めました」
ただしフェーズ1を進展させていくには、エイベックスだけでは対応できない大きな問題があった。それは、MERCHBARで注文を受けた商品を海外へ発送するための物流システムだった。
須藤「国内だけで流通している商品を海外のお客様が入手するには、相応のストレスがかかっていました。商材のPRも含め、スムーズな買い物を実現するためには海外対応のプラットフォームづくりが不可欠だと、これもコロナ以前から検討していた案件でした」
「業界紙でNEOlogiを発見して、
すぐさまこれだと」
エイベックスのEC事業グループが新たな展開を迎えた頃、黛氏が所属するネオ・ウィングもかつてない事態に陥っていた。ネオ・ウィングは、Neowing、CDJapanというECサイトで20年以上に渡り、世界150ヵ国以上に音楽CD、アニメBlu-rayなどのジャパニーズポップカルチャー商材を販売してきた会社だ。中でもCDJapanは、越境サイトとして海外とのEC経験が豊富で、音楽業界でも知られた名前だった。
黛「旅客機が飛ばなくなったおかげで、私たちが利用していたEMS(国際スピード郵便)が使えなくなり、一時期は3,000件もの海外出荷がすべてオフィスに戻ってきました。あれには絶望感を味わいましたね。しかし1カ月の間に他の配送サービスに切り替え、その都度配送情報をユーザーに開示してきました。あの素早い対応があったからこそ、今につながっていると思います」
今につながる案件はもうひとつあった。世界150ヵ国以上に出荷可能かつ様々なECシステムと連携できるクラウド型物流代行サービスのNEOlogiである。
黛「実は昨年の3月に発表する予定でした。ですがコロナが拡大してきたのでリリースを一旦遅らせ、6月23日にNEOlogiの正式リリースを出しました。発表した瞬間の反響は凄かったです。やはり多くの方が海外に市場を求めていたのでしょう。そのNEOlogiのリリースを見つけてくれたのが須藤さんでした」
「あれはたしか業界紙でした」と須藤。「NEOlogiを発見して、まさにこれだと。ネオ・ウィングさんはウチと法人契約している関係だったので、すぐさまコンタクトをとらせてもらいました」
石原「NEOlogiさんとの出会いがなければ、僕らに欠けていた海外発送を実現できる物流というピースを埋められず、いまだフェーズ1から抜け出せずにいたかもしれません。それくらいお互いの強みやマインドの噛み合ったパートナーと最高のタイミングで出会えたと思います」
須藤「改めてプレスリリースの大事さを知りましたね。数多の情報をピックアップする粒度もあるでしょうが、まずは情報が世に出ないと認知のしようがありませんから」
「当社はリリースに無頓着なところがあったんですが、この件があって以降、頻繁にリリースを出すようになりました」。黛氏はそう言って笑った。
「オープンマインドだったことが
原動力に」
エイベックス・デジタルとネオ・ウィングが顔をそろえたのは夏の終わり。そこから類稀な加速感を伴った協業が始まり、約半年でMD-SASS発表に漕ぎ着ける。これが“フェーズ2”だ。この段階では、日本の慣例と異なるMERCHBARとのコミュニケーションに予想外の時間を割かねばならなかったそうだが、それでもフェーズ2が飛躍的に前進した理由を石原が話した。
石原「この3人だけでも楽観的な性格なんですよね。やれない、できないではなく、やってみようというオープンマインドだったことが原動力になったと思います。それから会社の上層部も、とにかく何でも挑戦してみろと支えてくれたのが大きかったですね。それもまた、いつも以上に決断のスピードが求められた昨年の状況があってこそかなと……」
「業界全体を盛り上げる、
誰でも利用できる
プラットフォームづくりを」
須藤「今回のMD-SASSは他社様にも開放するモデルになります。他社様がそれぞれ自前でサービスを作るより、ネオ・ウィングさんのNEOlogiと弊社が組むことで生まれたMD-SASSを活用いただいた方が、構築や運用の負荷を考えると全社にとってメリットとなる、そういう環境づくりを目指したんです。僕らが自前の直販サイトで実感したグローバル市場へのEC物販進出の難しさは、どこも悩みどころだと思います。僕らとしても自社の商品をきっちり売っていかなければなりませんが、それと同時に業界全体を盛り上げられればと。だからこそ誰でも利用できるプラットフォームづくりを戦略のフェーズ2にしました」
石原「やっぱり動画のインパクトは大きいんですよね。すでに開設して人が集まっているYouTubeの公式アーティストチャンネル内でグッズを掲載することができれば、それが視覚的にも認知され、世界中の人々への宣伝にも繋がります。Spotifyもお気に入りのアーティストに出会った時にそのまま商品を認知させられる。そんな巨大グローバルプラットフォームの魅力的な場所へ簡単にアーティストの公式グッズを掲載できる。まずはここまでのサービスにこぎつけました」
黛「フレンドリーなショッピングができること。これも私たちの重要なミッションです」
「デジタルでも購買意欲を掻きたてる
何かを提示しなければならない」
それにしても彼らの発言からは、プラットフォームの完成でフェーズ2が終わった気配がまるで感じられない。
石原「MD-SASSの最後のSは、ソリューションです」
ちなみにMD-SASSのフルネームは、MERCHANDISING SALES AGENT SERVICE SOLUTION。
石原「フィジカルなライヴであれ配信ライヴであれ、歓喜が伴わないとグッズは売れないと思うんです。だからデジタルでも購買意欲を掻きたてる何かを提示しなければならない。つまりYouTubeやSpotifyでしかできない売り方や商品を企画していくのも大事になります。エイベックスには映像や商品を企画制作するプロが揃っているので、各部門の力を借りて実現していける。ただ販売“出来る”プラットフォームではなく、海外に“売れる”ソリューションを提供していきたいと考えています」
須藤「成熟したエンタメ企業のエイベックスなら新しいボールの投げ方を見せるはずと、そんな期待を寄せてくれたのだと思います。つまり求められているのは、僕らならではのストーリーを伴った成功事例です。そういう意味では凄くプレッシャーを感じますが、出来る事はいろいろあるかなと。フェーズはこの先も続きます。次の構想も、すでに用意しています」
リリースされて間もないMD-SASSを有効活用して、いち早く世界中のファンの期待に応えるのは誰か? または世界中で新たなファンを獲得して活動の幅を広げるのは誰か? それが明らかになるのはしばらく先かもしれない。だが、彼らの信念が揺るがずフェーズが進化する限り、可能性の拡張に果てはないだろう。MD-SASSの公式サイトに記されたメッセージは、こんな一文で締められている。
“エンタテインメントの力を信じて”
(写真左)
エイベックス・デジタル株式会社
プラットフォーム事業本部
EC事業グループ
マネージャー
石原 賢人
(写真中)
エイベックス・デジタル株式会社
プラットフォーム事業本部
EC事業グループ
ゼネラルマネージャー
須藤 健太
(写真右)
株式会社 ネオ・ウィング
プロジェクト推進室・海外事業推進グループ
グループリーダー
黛 将広