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30代以上の日本人で「スーパーユーロビート(以下、SEB)」という名称や音楽を知らない人はほぼ皆無なのではないだろうか。会社設立30周年の今年、現在の会長である松浦勝人がエイベックスの黎明期に、ユーロビートを音楽好きの視点から個人で“輸入”し、“ダンスミュージックのエイベックス”という会社初期のイメージを作り上げたシリーズだ。いわば会社の根幹であるこのシリーズの250作目が今秋リリースされる。そこで初期からSEBをDJの現場でプレイし、00年からプロデュースとして参加している横田聡(DJ BOSS)氏と、エイベックス・エンタテインメント株式会社 高野敏郎に、SEBの歴史やこれまでの戦略、250作目という節目に向けた取り組み等を訊いた。

avex trax立ち上げ理由となった
SEB初期のチャレンジングなビジネス

1990年当時、専務だった松浦会長が“ハイエナジー”と呼称されていたヨーロッパのダンス・ミュージックに魅了され、輸入盤を貸レコード店に卸し、コンピレーション盤としてリリースするために「ave trax」が設立されたことは会社年表の冒頭にも記されている通りだ。

横田「最初はDJとして横濱マハラジャ等で『SEB』収録曲をかける立場にいました。その後、店が閉店し、’00年ごろから制作に携わるようになり、楽曲に関する指示をエイベックスを通してイタリアのプロダクションとやりとりしていた感じですね」

高野が学生時代に横田氏と出会い、『SEB』を担当するきっかけになったのも横濱マハラジャでのバイトだった。横田は当時のエイベックスをこう振り返る。「昔はこんなに大きな会社じゃなかったんで、ディスコで働いてるイキのいいやつ紹介して、ってノリで入社できた時代。部活ノリというか、会社然としてなくて、他の会社がやらないことをやっているイメージでした。だからユーロビートもある意味そうで、輸入盤を丸ごと買うなんて他社はどこも手をつけていなかったけど、そこにこそビジネスチャンスがあると松浦さんは思ったんでしょうし、何よりユーロビートの根幹にある曲が大好きだったから、自社で立ち上げたのがこのシリーズじゃないでしょうか」

高速BPMのダンスミュージックでありつつ、J-ポップにも通じる、Aメロ〜Bメロ〜サビがあるという親しみやすさ、どこか哀愁のあるメロディ等でメガヒット・シリーズとなっていくSEB。

高野「仕事の量でいうと、もう1人の先輩ディレクターと僕で制作していたんですが、ピーク時で年間50タイトル以上、簡単にいうと週1回何らかのリリースがある状態でした。仕事の内容は作品の企画を考えて編成にあげるところから、音源の制作、パラパラの振り付け作りや撮影、ライナーや対訳、曲解説等の入稿から校了、全国のクラブへのプロモーションまで担当していたので、今考えるとかなりの仕事量でしたね」

小室哲哉、安室奈美恵ら
J-ポップとの
相乗効果で
“エイベックス的なヒット曲”が定着

ディスコ発信でパラパラという振り付け文化が生まれ、さらにはJ-ポップにも影響が波及。’93年のTRFのデビュー等小室哲哉とのタッグによるメガヒットを連発し、お茶の間レベルにダンス・ミュージックが定着していく。

横田「TRFはデビュー当時から見ていましたが、松浦さんが小室さんと一緒になってTRFを立ち上げた、その着眼点がすごいなと。当時テクノはディスコでは人気があったものの、一般には全く認知されてない状況だったのですが、それを邦楽のアーティストに歌わせることでカラオケでスタンダードになり、歌って踊れるという軸を作り出した。それこそ安室奈美恵さんも「TRY ME 〜私を信じて〜」でディスコ界隈で有名になり、その後一般へも浸透していった。ディスコというアンダーグラウンドなカテゴリーの音楽を、松浦さんがJ-POPに使用することでメジャーにしたんです」

90年代初期のディスコという現場でのヒットから、J-ポップシーンの一大ムーブメントへニーズが拡大したのがSEBの第2次。さらにターゲット層が変化しながら拡散していったのがユニークなところだ。

横田「その後に来たのが第3次ブームで、それが’99年〜’01年ですね。『SMAP×SMAP』で木村拓哉さんが踊ったり、渋谷の街では女子高生がパラパラを踊っていた。ディスコじゃなくて一般層がターゲットになり、さらにはミッキーマウスが踊り、幼稚園児が教室で踊ってたし、さらにはおじいちゃん、おばあちゃんもテレビを通じて知っている。そこまで広がったんです」

他にもエイベックスの自社アーティスト、例えば浜崎あゆみやEvery Little Thingのユーロビート・リミックスが続々リリースされたのも第3次ブームの頃。時代の変化に合わせてターゲットを想定した施策を打つフレキシブルさを持ちながら、楽曲そのものの構造が不変なのがSEBらしさでもある。

横田「時代によって音のバリエーションだとか、音圧は変わってますけど、軸にあるものは曲構成にしても何にしてもほぼ変わらないんです。それは軸として日本人の好きなメロディがあるからだと思う。だから、今、249作目までシリーズを重ねて来た上で絶対外さないものって、変わらないことじゃないですか? 敢えて続けてるとしたら、変わらないことの素晴らしさだと思います」

バブル・リバイバルや
SEB未体験世代が融合した
2018年の現状

ただ、第3次ブームが去った後は「渋谷のガングロ・ギャルがパラパラを踊っている」というイメージは、いきなりマイナス・イメージに。’03年、’04年頃はシリーズは続き、リリースが決まっているものの次への打開策がない暗黒時代だったと2人は言う。「恋のマイアヒ」のユーロビート版が多少話題になったものの、再び盛り上がるには至らなかった。

それでもエイベックスの原点であるSEBはシリーズを重ね、今年いよいよ250作目のリリースを控えている。そんなアニバーサリー・イヤーに起こったのがユーロビートも含む、バブル世代の流行のリバイバルだ。他社だが、荻野目洋子の「ダンシング・ヒーロー」、バブル世代のディスコを再現するような人気DJの登場、そしてDJ BOSSの『マツコの知らない世界』への出演で、第2次、第3次世代はもちろん、パラパラ、ユーロビート・ブームを知らない世代にもその存在と今後をアピール。伝説のギャル雑誌『egg』がウェブに移行し、そこで現代のギャルたちがオリジナル・パラパラの振り付けを考え、渋谷で撮影した動画をアップする等、他業種とのコラボも再開している。

さらに同じ時期にDA PUMPの「U.S.A.」や青山テルマの「世界の中心〜We are the world〜」が話題になることで、リアルタイム世代も、10代もそのダサカッコ良さに注目しているのが今だ。その追い風を受けつつ、記念すべき250作目のリリースも盛り上げたいところではある。

横田「ただ、250を迎えるにあたってはこれまでの売り方では無理があるし限界もあるので、方向転換をこの機にしたいと考えています。それまでは1ヶ月に1枚出していたんですが、CDが売れない時代でもあり、1年かけてじっくりいい曲を作ってもらい、年に1回ぐらいのリリースにする方向で検討しています。時期を集中させて、売り方も変えるといいうことですね」

高野「同時に旧譜の活性化という意味で、ストリーミングや配信限定のものを充実させる方向性もスタートしています。ユーロビート含め、ダンスのカタログはたくさんあります。中にはワールドワイドで権利を持っている曲もあります。今後はダンスを中心に旧譜の配信を専門にやるチームを作って、大いに活用していきたいですね」

記念すべき250作目は3枚組で、松浦会長セレクションの100曲、歴史的な名曲100曲、ジャパニーズ・ユーロを50曲収録することそのものがテーマだ。

高野「初期のヒット曲や数々の日本語カバーの原曲やパラパラで一世を風靡した曲、そして邦楽曲がノンストップで収録されています。聴くときっと当時の情景や自分自身、また一緒に過ごした仲間を思い出す方も多いと思うんです。どうしてもパラパラ等ブームに目が向けられがちなのですが、ユーロビートの本質である曲の良さも感じていただければ嬉しいですね」

このアニバーサリー盤のリリースに伴い、10月にはSEB参加アーティストを招聘してのライヴ・イベントを東名阪で開催予定だ。

エイベックス設立の原点でもある巨大なビジネスであり、音楽スタイルであるSEB。

「平成も今年で終わり、小室さん、安室さんが引退し、会社も30周年と言う節目を迎えて新たな時代へ向かっている状況です。SEB、パラパラも過去3度の大きなブームを経て来ました。今回の250作目を節目とし、SEB新時代=『SEB 4.0』として、時代のニーズに応えながら、自己主張は続けていける作品でありたいですね」と高野はいう。単にブームやコンピレーション・シリーズを超えた、エイベックスのチャレンジングなスタンスを象徴し続けるのかもしれない。

(写真左)エイベックス・エンタテインメント株式会社
レーベル事業本部 第1プロデュースグループ 
洋楽ユニット
マネージャー 高野 敏郎

(写真右)有限会社 横田商会
横田 聡(DJ BOSS)

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