90年代末から00年代初期、エイベックスの売り上げのなんと40%を占めていたのが浜崎あゆみだ。女子高生のカリスマと呼ばれた女性からの共感度の高い歌詞はもちろん、’12年時点で総売上数が5,000万枚を突破。女性ソロ・アーティストしては初の快挙である。破格の存在感を示して来た彼女が今年デビュー20周年を迎えるにあたって、’05年から浜崎のA&Rディレクターを務めるレーベル事業本部 第1プロデュースグループのゼネラルマネージャーでもある米田英智に浜崎チームの戦略、そして浜崎あゆみというアーティストのエイベックス、さらには社会における意義に至るまでじっくり話を訊いた。
スピード感命。
浜崎チームの現場で動く
大規模ビジネス
’99年、新卒入社で洋楽宣伝・制作部に配属された米田は、洋楽部署で「ayu trance」を手がける等、作品に接点はあったものの、邦楽とは無縁。そんな中、デビュー当時から浜崎を担当していたディレクターから「一緒にやらないか?」と打診を受ける。まさか自分が? と思いつつも、会社の看板アーティストでもあり、希望して担当できるアーティストでもないことから、チャンスと捉えて異動。
「『お疲れ様です』『お疲れ様でした』の二言しか喋ったことがなかったのに、『新曲の間奏のアレンジどうしようか?』みたいな話をされて、まだ入ったばかりの自分を信用してくれてびっくりしました。彼女はセルフ・プロデュースなので、全て自分で考え、浜崎あゆみというアーティストのブランドを自分で責任持って発信していく。そこでは0か100、イエスかノーの人なので、スピード感はすごく感じました」
担当になる以前、社内で浜崎プロジェクトを見ていた米田には、その大規模な施策やビジネスを半ば驚異の目で見ていたという。
「入社した’98、’99年ごろはいわゆる女子高生のカリスマで、その頃は隣の部署で制作や宣伝されていることではありつつ、完全に全社ごとでしたし、日本全体の現象になっていましたね。宇多田ヒカルさんの『Distance』との競い合いは会社全体に緊張感がありました。曲もブームを作ることも、とにかく新しいことをやっている。それこそ今の松浦会長がどんどん新しい仕掛けを毎シングルでやっていましたし、浜崎本人のアイデアやスタッフのアイデアも含めて、チームとして新しいことを仕掛けているイメージは持っていました」
テクノロジーで
新たなファンダムを作る。
ユニークな戦術とブランディング
常に「日本初」「世界初」の施策を毎回打つ浜崎チームを見てきた米田としては、自身が担当するようになって意識し続けていることも同様だという。そこに音楽そのものをより良い状態でファンに届けたいという、米田の想いが注入された施策が、10作目のアルバム『NEXT LEVEL』(’09年)の日本人アーティスト初となるUSBメモリでの発売だ。
「音楽配信は盛んでしたが、今でいうハイレゾなんて無かった時期でした。松浦社長(当時。現会長)時代から、誰もやってないことをやっていかなきゃいけないという思いがあった中で、音楽制作の現場ではCD以上の音質で本人もエンジニアさんもアレンジャーも僕も聴いているわけです。僕らがスタジオで聴いて、『よし、これで完成だね、OK』って言っているものが直接届けられていない。それをなんとかしたいということでUSBにデータとして閉じ込めて売ると。もちろん再生できる環境は必要ですが、届けるところまでは僕らはできるので」
近年では’16年にアルバム『M()DE IN JAPAN』をCDリリースの1ヶ月半前に定額制音楽配信サービス「AWA」にて、アルバム告知を一切せず全曲独占先行配信を敢行。チームで浮上したこのアイデアも、業界の慣習からいえば怖いことではありつつ、浜崎本人に提案したところ「うん、面白いね、やろうよ」の二つ返事だったという。
さらにはデビュー20周年となる今年8/15(水)にリリースされるニューアルバム『TROUBLE』の発売にむけて、7月からサブスクリプション上でユニークな“仕掛け”を実施した。
彼女の夏曲を集めた公式プレイリストの中に曲タイトルも記号で、歌が入っていないガイドメロディーだけのデモ音源トラックが出現、翌週にはキーが変わり、その次の週にはコーラスだけが入っているものが、最後には男性の声で歌詞と思われる朗読が配信。同時にタワーレコードで歌詞のみのポスターを掲出する等、曲の情報をサブスクを用いてオープンにしていき、その間、ファンが完成した曲を想像してSNSに歌う動画をアップする等、ストーリー性のある戦術を打ち出した。
「USBで作った時なんかは社内で『そんなのコピーされちゃうじゃない』と言われるわけですが、半ば強引な突破をして、松浦会長にも『いいんじゃない?』と言われて(笑)。やはり、それは浜崎あゆみというプロジェクトの役割というか。誰もやってないことをやるイコール、エイベックスなんですけど、それを体現しているアーティストを預かっている以上、やり続けないといけない、という思いが強かったですね」
リスキーな戦略ではあるが、また同時にそれは浜崎だからこそ意義がある。浜崎のように国民的なスターだからこそ、新聞等の大手マスコミが取り上げてくれる。よくも悪くも話題にならなければ、テクノロジーや音楽の新しい聴き方、楽しみ方を提示する意義も半減してしまう。一方で知名度の高い芸能人でもある浜崎の音楽的なクリエイティヴな側面を見せていくことは今後のブランディングにおいても重要だと米田は認識する。
音楽家としての浜崎あゆみの、特に同性の若い女性の心理に寄り添い、時に弱い立場にいる人を救ってきた歌詞の世界観は、ブレない軸で、根幹でもある。そうした表現者として歌詞を書き続けてきたことが認められていると感じた象徴的な出来事が、’14年にリリースされた著名アーティストによる宇多田ヒカルの解釈と定義されたカバーアルバム『宇多田ヒカルのうた-13組の音楽家による13の解釈について-』へのオファー。
「最初にオファーをいただいた時、井上陽水さんや椎名林檎さん等、他にもすごいメンツで。宇多田ヒカルさんチームのディレクターに『なぜ浜崎にオファーして下さったんですか?』と聞いたら、『(宇多田と)同じ時代を駆け抜けてきた同志であり、音楽家としての浜崎さんをリスペクトしています。だから参加して欲しい』と言って頂いてすごく感激して、これは絶対受けなければダメだと思いました。ただその分、プレッシャーはハンパなかったですが(笑)」
常に新しいことと
ファンへの眼差しを共存。
仕掛け続ける姿勢
さらには今年4月、LGBTへの理解を深めるRAINBOW PRIDEの一環で、渋谷でフリーライヴを敢行したことは大きなニュースに。
「もともと新宿二丁目を含めたLGBTの方々からは非常に支持をいただいているアーティストではあるので、先方から、『今年やっとお声がけできる規模になったので出ていただけませんか?』とオファーをいただきました。本人に伝えたところ『絶対出る。こんな光栄なことはないから、何を差し置いてでも責任を持ってやらせていただきます』と。彼女の周りのスタッフや友達にもLGBTの方は多く、皆さんの才能やセンスを尊重しているんです。なので、そこへの偏見に対する怒りはもともと持っていたし、自分が出ることで普段取り上げないメディアも取り上げることが一番の貢献。フリーライヴのMCでは『20年前デビューしたての頃、生きるのが辛くなっていた。そんな時に喜怒哀楽の全てを2丁目の仲間たちとともに過ごしてきたからこそ、今の私があると思っている』という内容のエピソードを語っていましたが、それほど何か自分にできることがあればという思いが強かったんだと思いますね」
浜崎あゆみというブレない信念とセルフ・ブランディングができる才能、そしてその音楽と個性を時にテクノロジーの分野で斬新な手法で世に送り出し、時にヒューマンパワーを信じて、フリーライヴという観客との距離が近い生のパフォーマンスを披露する場にも登場させる。
常に新しいこととファンへの眼差しを共存させて来た浜崎チーム。ニューアルバム『TROUBLE』は、プレイリストでの実験的な施策を経て、ファンが待ち望んでいた強い楽曲と新しいビジュアルを伴って、フィジカルでリリースされる。
「自分自身もそうですし、浜崎チームに限らず他のアーティストの担当者にもとにかく世の中を驚かせろ、誰もやってないことをやれ、話題を作れ、仕掛けろと言っていますし、意識しています。ただ、そもそも音楽やエンタテインメントが好きでこの会社に入ったんだろうから、得た感動やPureな心があるはずで。僕自身、音楽体験を通じて救われたことがあるし、その一端を担うからには責任を持ってPureな心でクリエイティヴを進めていく。その作品に興味を持ってもらうためにMadな仕掛けをし、『ああ、変なことやってる奴らがいるな、聴いてみたらすごい良いな』という感じで好きになってもらえたら本望ですね」
どれほど巨大なプロジェクトでも、長年会社の看板を背負うアーティストでも、始まりはPureな1リスナー心理。まだ世の中にないものをーーそれが命題の浜崎あゆみというエイベックスを象徴するチームのリーダーは、だからこそ自身の初心を信じている。
エイベックス・エンタテインメント株式会社
レーベル事業本部 第1プロデュースグループ
ゼネラルマネージャー 米田 英智